今回は当ブログ読者のみなさんお待ちかね?の沖縄ヤクザネタを掲載します。ブログ主の手元にある史料から、昭和36年11月号『月間沖縄』に掲載された西原飛行場における暴行事件について掲載します。その事件の概要は下記ご参照ください。
(中略)これまで両派(那覇派とコザ派のこと)は懇親会を開くなど親密な関係にあったが、又吉(世喜)が那覇市内の料亭で開いた懇親会で、接待を受けたコザ派の新城善史等は又吉から相手にされなかった。又吉は接待するどころか、料亭の調理場で花札をしていたのである。
メンツをつぶされた新城らは又吉の横暴極めた態度に不満をいだき、又吉を襲う計画を立てた。
1961年(昭和36年)9月9日午前10時頃、又吉(29)は、コザ派幹部・新城善史(33)ら6人から「ちょっと話がある」と自宅から呼び出された。新城は又吉を車に乗せ、西原飛行場跡に連れて行き、又吉の横暴な態度をたしなめるため、6人で暴行を加え、2か月の重傷を負わせた。
しかし、表向きを”メンツ”にした傷害事件は、実は又吉の縄張りである十貫瀬(じっかんじ)を奪い取ることにあった。又吉ら那覇派は、30軒近くある十貫瀬の飲み屋から夜警料を名目に、1軒から月100ドルを徴収していた。更に80人ちかくいる飲み屋の従業員からも1人当たり月1ドルを徴収していた。この財源に目をつけたのがコザ派首領・喜舎場朝信(39)等であった。(比嘉清哲著『犯罪実話物語 – 沖縄警察50年の流れ』195~196㌻より抜粋)
今回紹介する月刊沖縄の記事『縄張り”暁に死す” – ぬりかえられた盛り場の地図』は、ブログ主が知る限り沖縄の歴史上初のヤクザ関連のスクープです。ちなみにこの記事を執筆した佐久田繁さん(1926~2005)はのちにスターこと又吉世喜氏から名誉棄損で訴えられます。警察資料を照合すると一部事実誤認も見受けられますが、今回は記事の真偽については言及しません。読者のみなさん是非ご参照ください。
ぬりかえられた盛り場の地図
パチンコ・マニヤはお気づきだろうか、那覇のパチンコ屋にたむろする、用心棒的存在の男たちの顔ぶれが、9月末ごろから一変したことを……。それは今までの組織の後退、新らしい勢力の進出を意味するものだ。しかもそれは一夜で起ったものだ。
袋ダタキにされたボス
日づけは正確に分らないがそれは9月中旬の夜だった。桜坂を中心とした那覇、糸満の夜のボスM(29)が、顔なじみのコザを根城とするグループに誘われた。Mといってもピンとこないかも知れないが、スターといえば思い出す読者もいよう。ガッチリした体格の、力では彼の右に出る者はないといわれるほどの力自慢の男だ。
おそらく、スターは何気ない軽い気持ちでこの誘いにのったものらしい。が、これが彼の命取りとなった。
車にのせられると、車は西原飛行場へ向つた。おかしいと思ってもあとの祭り。後ろからも数台の車がつづいて、人気のない深夜の西原飛行場にひき出された時には10名ぐらいの人数に取り囲まれていた。
深夜の西原飛行場
抵抗するヒマも、弁解する余地も与えられず、有無をいわせずこん棒でなぐられ蹴られ、文字通り半死半生の袋叩きにあった。
日頃、身内100人と豪語、那覇に君臨していたさすがの彼も、死の予感におびえて、救いを求めたらしいが許さばこそ。
数10分、思う存分にスターを叩きのめした彼らは、車で、那覇市5区、料亭幸楽前の彼の家まで彼を運ぶと、家の前に投げ出して去った。
まるで、ギャング映画さながら – と読者は感ずるだろう。事実、そのとおりに行われたのだ。
家人があわてて某病院にかつぎ込んだが、入院2週間、退院後もまだ起きられないほどの重態だったらしい。
何故、四天王といわれる幹部を中心に、直接息のかかった子分48人、その影響にある勢力、ざっと合わせると100人に達するといわれるほどの男が、不要心にも、深夜、一人で連れ出されたか、にも疑問があるが、不覚にもスターはコザのグループが彼に反感を抱き、彼の勢力を、彼自身をこの世界から追放しようとした陰謀に全然気づかず、ちょっとつきあう位の軽い気持ちでさそいの応じたものらしい。
組織一夜で潰滅す
この夜を境に、スターの縄張りは一きょに、Kをボスとするコザ一家に奪われた。
勿論、スター始め四天王がこれで手をつかねて見逃していたわけでなく、地におちた勢威をとり戻そうと病床のスターの指示のもとに、浮き足たった一家のとりまとめに狂奔したが、一家の者もわが身が可愛い。下手に動くと身が危いとあって暫時、傍観、形勢のおちつくのを待つていたというから頼りない。
スターは日ごろ、最高幹部の4人には月100ドル、40人余人の輩下は月20ドルのから3、40ドル手当をやってていたというが、このボスの危機に、この部下たちが起ら上ってこないのだから、ずい分いい加減なものだが、同時にスターの子分の処遇にも問題があったと推察できる。
スターという男
戦後の那覇の暴力団の目ばえは、51年ごろ。当時の盛り場、神里原を中心に、パンパン街崇元寺をまたにかけて、軍作業上りや大島の腕力自慢が4つのグループに分かれて群雄割拠の時に始まった。
警察力が強化されるにつれ、分離集散をくり返し、神里原殺人事件を契機に、世論に叩かれ、ついには全く鳴りをひそめた。
こうした間隙を縫つて登場したのが、戦後派のスターである。
いつの間にかグループが次第に大きくなり、6年前、23歳の若さで遂に那覇の夜の実権をにぎる文字通りスターにのし上った。スターとは彼の通称シターがなまつたものだが、命を張るような危険もおかさず、那覇を手中におさめた彼は平社員から一足とびに社長になったようなもので、幸運児でもあり、風雲に乗ったともいえよう。
現金10万弗持つ? 子分に1500㌦の給料支払い
48人の部下に毎月手当てを出している – と前に書いたが、これを合計すると月1500ドル内外の金額に達する。
自分の権力の座を守るためにはスターは最低毎月、これだけの金を作らなければならないわけだが、彼はこの金をどうしてつくったか。
彼が、直接自分の名を出さずに他人名義で経営している事業にはパチンコ屋、洗濯屋、音楽喫茶、金貸しなどがあるといわれる。
これらの利益はアテには出きず、1500ドルの利益をあげるというのも大変なことだ。まだ若い彼が、これだけの事業資金をどうして始めた、かにも問題がある。
風俗営業は弱い
那覇ではパチンコ、ビンゴ屋を中心に娯楽場の名のつくものが、30軒前後あり、キャバレー、バー、おでん屋などは100軒どころの話ではない。ここから毎月営業保護や自警団費の名目で、定額をとり立てていたらしい。大口にはKパチンコ、Mビンゴホールなどの毎月200ドルなどというのもあり某パチンコ屋の主人は1万ドルもまきあげられたこともある – という噂さえある。
こうした風俗営業と彼等のむすびつきはどこにもあることだが、キャバレー、バー、おでん屋の順で金額が少くなっていたというのもこの世界ではあたり前のこと。自警団員の給料支払い – という公然たる名目があるから否応はない。
夜の女からも
それだけなら許せる – ともいえようが、那覇に十貫瀬(じっかんじ)という夜女のたまり場がある。ノミ屋の女給も兼ねているものだが、ここにも自警団の詰所があり、勿論営業者は維持費を払わなければならない。ところが、ここで肉己れの身を売っている80名前後の女たちからも毎月、保護費として月2ドルづつ徴集していたというからあくどい。
これが今まで外部に洩れなかったのは、御礼参りをおそれた女たちが黙っていたからだ。だから今度のスターの失墜を一番喜こんだのは彼女たちだろう、といわれている。
こうした闇の収入がたまって、スターは現在10万ドルの現金を持っている、という。那覇署の某刑事にいわせると、もっと持っているのではないか、というほどだから、あてずっぽうの数字ではない。
何故、襲われたか
それでは、横のつながりもある彼等の仲間から、何故、スターは襲われたのか。
㐧一、に毎月200ドルとられているMビンゴホールは10名の株主がいる。その1人がコザのボスである。
この男は戦前の派。スターが現れない前は那覇では顔役だったものだが世論の反撃で鳴りをひそめている間に戦後派のスターに縄張りをとられた。面白かろうはずはない。日本に高とびした手下も呼び集めて、ひそかに反撃のチャンスをうかがっていたというわけだ。
㐧二、急激に出世したスターは成り上り者にありがちな思い上りをした。先輩格の40台の男たちを虫けら同様に扱ったという。つまり、人使いが荒いというわけだ。
㐧三、スターは腕力自慢だというが、どれほど強いのか誰にも分らなかったという。
スターは毎日、マーガリン(バター)を5つ、タマゴ8つ、固い御飯を全然とらずおかゆばかり食して、昼寝は毎日3時間深酒もせず夜ふかしもさけて体力を練ったという。
1対1なら相手になる – という男は多勢いるが、なにせ50人の腹心を持っている男には、ちょっと手が出せない。
スターの力の強いことで、空手の練習につかう巻ワラをたったひと突きで、突き倒す – ほどで、力の強いのも誰もが認めるが喧嘩となれば別だ。
あれやこれやで、夜の女からもまき上げるような奴は、ヤクザの風上にもおけないという戦前派の奮起でスターはやられた、というわけだ。
巻き返し作戦失敗
彼ほとの男が泣き寝入りするはずはなく、すぐ子分をかり集めにかかったが、おいそれと集まらずいずれも洞が峠を決めこむ始末。
四天王の4名とも、今度は自分の番だ、と、いち早く姿をくらませた。日本へとんだのか行方不明だという。
四天王でさえこのざまでは他の子分もたかが知れている。
寝返る者が続出、今ではスターは家から一歩も外に出ないという。
彼等の世界もしょせんは金が支配するところ。スターは子分にはやらず、私腹を肥やすにアクセクしたのがこの結果を招いた、というわけだ。
刑事には否定
勿論、スターやられる、という情報を得た那覇署の刑事が黙っているわけはなく、直ちに捜査に乗り出したが、肝心のスターが、さすがに仁義を守って頑強に否定、どうにもならない。
こうして6年にわたって支配しづつけたスターは再起不能といわれ、那覇の盛り場は新らしい顔が登場した。スターの自宅付近の料亭幸楽前の壷屋自警団詰所も釘づけにされ、パチンコ屋の用心棒の顔ぶれも一新したというわけである。
そして曽っての那覇の夜の帝王スターは、20坪の自宅で、訪れた記者にも会わず、ひっそりと再起を図っているが、その胸中はどんなものだろうか。
しろうとには好評
しろうと衆からの評判は – というと、まず上の部類。腰も低く、当りもやわらか、まず話せる人と評判がいいが彼の背後には黒幕がいるのではないかといわれている。
集団で対立
10月24日よる11時ごろ、那覇署に「10数人の前科者がけんかする」という情報が入り、署員を非常呼集して西武門交番で待機したが、何事もなかった。
これはスターの一味が逆襲を計画したのではないとみられている。
浦添那覇捜査課長談
障害罪は申告罪だから申告がなければどうにもならない。
事件は知っているが、本人が否定しているから調べはできない。
10万ドル?さあ財産は調べたことはないから分らないよ。
*この記事を執筆するに当って、記者の身の安全を憂慮して記者の先輩、知己のなかにはスターの名を仮名にすべきだと強硬に注意した人々がいた。しかし、それを記者は敢て本名にした。暴力はたとえ小さなものであっても、徹底的に追及しなければならない。という信念にもとづいたものである。
この記事はスターの周囲の話をもとにしてつづったものでありはっきり云って証拠はない。然し真相に近いものだと確信している。記者がこの記事に登場してくる関係者ののぞむことは、明るい社会をつくるために協力してほしい。ということである。
ねがわくばスター君、この記事を読んで真相を明らかにし、暴力の根絶に協力して頂きたい。その時には、記者は、あなたに協力を惜しむものではない。
本誌 佐久田記者
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