県知事選について - その2

前回は宮崎政久先生の Facebook を引用して、玉城県政の欠点について(ブログ主らしくなく)厳しく批判しましたが、今回は県知事選へ2度目の挑戦となる佐喜眞淳氏について、ブログ主なりに調子に乗って言及します。

佐喜眞淳氏といえば、「ツッコミどころがない」との評価が定番かもしれませんが、ブログ主の見方はちょっと違います。この人は松本哲治浦添市長と同類であり、誤解を恐れずにハッキリ言うと “幸運の女神に愛されている” 人物なのです。

ブログ主がその点を実感したのが、平成24年(2012)2月に行われた宜野湾市長選で、元市長の伊波洋一さんに勝利したあたりからです。当時の伊波洋一さんの立候補に対する市民の評価は芳しくなかったのですが、それでも序盤は圧倒的に佐喜眞さんが不利、それがいつの間にか追い上げて最終的に900票差で勝利という劇的な展開でした。

*同年の浦添市長選挙でも松本哲治氏が “まさかの初当選” を果たします。そして幸運の女神に愛された人物(佐喜眞、松本両氏)が平成24年に市長に就任している点が極めて興味深い所であります。プラス宮崎政久さんは衆議院に初当選(比例復活)したのも平成24年です。実は宮崎先生も松本市長に負けず劣らずの幸運の持ち主ですがこの点は後日改めて言及します。

ご存じの通り、佐喜眞さんは平成30年(2018)の県知事選では玉城デニー氏に大差で敗れてしまいます。政治家にとって選挙の落選ほど辛い出来事はありません。この時点で佐喜眞氏は政治家として終わったとしても不思議ではありませんが、歴史の事実はそうはなりませんでした。具体的には佐喜眞さんは

選挙で敗北したことによって、コロナ禍という特大級の災害に巻き込まれなかったのです。

しかも、今度の県知事選では古謝玄太氏という有能人物が味方につきます。そして(前回と違い)死神&疫病神の下地幹郎さんがオール沖縄側にすり寄る姿勢を見せ始めています。これぞまさに幸運の女神に愛されてる証拠ではありませんか。

*参考までに平成19年(2009)の衆議院選挙での敗北後、政治家として再浮上できなかった(宜野湾出身の)安次富修さんと比較しても、コロナ禍に巻き込まれずに再浮上を果たした佐喜眞さんの運の強さにはビックリします。

もちろん運、不運というパラメーターは人為ではどうすることもできません。そんなオカルト的な特性をもって政治家を評するのはもっての外と思われる読者もいらっしゃるかと存じます。だがしかし、歴史を振り返ると、幸運の女神に愛された政治家は間違いなく実在します。参考までに我が沖縄では、奈良原繁、屋良朝苗、そして松岡政保さんがそれに該当します。

運のいい政治家の凄さは、

どんなトラブルが起こっても、その人の都合のいいように解決される

この点に尽きます。松岡政保(1897~1989)を例にとると、彼は昭和25年(1950)年の沖縄群島政府の知事選に立候補して対立候補の平良辰雄さんに負けてしまいます。だがしかし歴史の事実は残酷で、選挙に勝った平良辰雄さんがその後政治家として精彩を欠くようになり、負けた松岡さんは昭和39年(1964)に琉球政府主席に任命されたあと、(主席として)歴代最高の実績を挙げ、民選知事の屋良朝苗さんにバトンタッチをする歴史的偉業を成し遂げるのです。

ブログ主は佐喜眞さんの姿が松岡さんと重なって見えます。それ故に現在の沖縄が抱える難局を突破するには、人知を超える特性を持ち合わせた佐喜眞淳さんを知事として祭り上げるのが最も肝要かと確信しています。

次の4年間は幸運の女神に愛されている人物に県政を委ねてもいいのではないか

とブログ主は沖縄の有権者に対し声を大にして訴えてながら、今回の記事を終えます。