県民を売る者

今日は昭和45年(1970)12月20日の “コザ暴動” から51年目を迎えましたが、前年度とちがいマスコミ等での取り上げ方が極めて少ないように見受けられます。

うかがった見方をすれば、去年行った一連の企画が予想以上の不評を買ったのかもしれませんし、あるいは(大手マスコミにとって)もはや「用無し」として取り上げる価値がなくなったのかもしれません。

ところでコザ暴動の面白いところは、事件の受け取り方によって各人の暴力に対する “本音” が露呈されることです。誤解を恐れずにハッキリ言えば、暴力に対して「キレイな暴力」と「汚い暴力」と分けて考えてる輩ほどコザ暴動を美化して語る傾向が強いのです。

キレイな暴力と言えば語弊があるかもしれませんが、ならば “やむを得ない事情があれば暴力は正当化される” とでも言い換えましょうか。コザ暴動の場合は「米国に対する支配に対する民族の怒り」という立派なお題目があり、事件当時も今もその論理で事件を美化する人が後を絶ちません。

ちなみに「やむを得ない暴力」は米国に対してだけ向けられるとは限りません。米人相手に商売をしている琉球住民にも暴力が向けられる可能性があり、だからこそ米人相手に商売をしている人たちは「自分たちも好きでやっているわけではない」と公言せざるを得なかったのです。

参考までに、コザ暴動に関して琉球警察が騒乱罪の適用を検討しているとのニュースに接した読者の声を紹介します。

県民を売る者

われわれ百万琉球民族の人種が米人によって侵害されたとて彼らはなんらの罰もされなかった。それに対してわれわれの怒りが爆発したのが1970年12月20日未明のコザ市におけるあの事件である。あれは起こるべくして起こったものであり、それ以外の理由は絶対に考えられない。それに対して琉球警察が騒乱罪なるものを適用させたことに激高しており、さらにそれが高まった。

問題は「コザ反米事件の徹底的操作を行いその関係者のリーダー格の逮捕に取り組んでもらいたい」とコザ商工会議所、コザ地区防犯協会、コザ観光協会、生活を守る会、コザ地区安全協会らが警察に申し入れたことである

なぜた。なぜわれわれが罰されなければならないのか、あの事件を起こしたのはわれわれではない。米人だ。彼らのわれわれ百万琉球民族に対する人権侵害がひきおこしたものであり、琉球民族がそれに対して当然の反発をしたから発生したものである。だが商工団体はこのようなことに一つも触れてない一方的なものである。皆さんは金のために米人によるわれわれ琉球民族の人権侵害に目をつぶろうとしている。自分たちの金もうけのためにそうしようとしていること以外になにも考えられない。私腹を肥やすためにわれわれを米人に売ろうとしている売民族者だといわれてもしかたあるまい。(那覇市首里・喜久川政彦)

ちなみに上記引用の論理はいまもむかしも琉球民族の自立を唱える輩の本音です。(非支配者である)琉球民族が支配者である米人に媚びを売ること自体許しがたいとのどす黒い怨念が常に心の奥底から沸き起こり、その結果「民族の敵」として排除すべき対象扱いになります。だから民族自立派は彼らに対して多様性どころか生活権や言論などの基本的人権を許容することができません(ただし許容するフリはできます)。

結論を申し上げると、コザ暴動を「民族の怒り」として美化する輩は

我が沖縄社会において最も危険な存在

であるとブログ主は警告して今回の記事を終えます。