沖縄を戦場にさせない

先日、我が家のポストに参議院全国比例区に立候補を予定している社会民主党公認候補者のチラシが入ってました。その題字 “沖縄を戦場(いくさば)にさせない” に興味を抱いたブログ主は、実際に沖縄を戦場にしないためにはどのような政策を行なうべきか真面目に考察してみました。

沖縄本島はご存じの通り歴史上2度の戦場を経験しています(離島遠征と内乱はいったん無視して考察を進めます)。その時に「どのようにすれば戦を防げたか」を考察すると、慶長の役(1609)に関しては、ヤマト側の政権(豊臣、徳川)の外交要求を満たせば、間違いなく戦争は回避できました。

大東亜戦争も同様で、外交交渉における米側の要求、その最たるものであった “支那撤兵” を陸軍が容認すれば、4年にも渡る不毛な戦争は避けられていたはずです。

*今回は差別用語としてではなく、当時の用語として “支那” を使用します。

歴史にイフを持ち出すのは云々というセンス皆無の批判は華麗にスルーすることにして、真面目な話、戦争を避けるためにはあらゆる譲歩も厭わないという外交を展開すれば、戦争は回避できます。

慶長の役以降の尚家の対薩外交がまさにそれ

であり、そのおかげで我がりうきうは270年の平和を享受することができたのです。ただし平和を実現することと、支配下住民が幸せに暮らせるとは別問題で、パックス・サツマーナ(薩摩による平和)下のりうきうの民は王家や王族を除けば悲惨な境遇に陥ってしまいます。

それが嫌なら、ハリネズミのように武装して、いざとなれば外国勢力を実力で排除する政策を取るべきであり、例えばスイスの武装中立路線がそれに当たります。

これまでの考察をまとめてみると、歴史を鑑みるに沖縄を戦場にさせない政策は、

1,外交政策における徹底した譲歩路線。

2,武装中立。

の2つであり、いずれにしても支配下住民に多大な負担を強いることになりますが、そこは “平和の代償” として割り切る必要があります。

ちなみに現代の沖縄は “日米安全保障” という歴史上最強レベルの同盟の元、世界最高の安全を享受できているわけで、その代償が “在沖米軍基地” になります。我が沖縄の現実として、平和を勝ち取るための独自の外交も、武装路線も不可能な訳であり、そうなると米軍基地負担は割り切った上で、現在の安全を受け入れるのが最善の道なのです。しかも、

尚家支配のりうきうの民に比すると、現代の沖縄県民の平和に対する負担は微々たるものであり

いまさらブログ主が強調するまでもありません。

それを踏まえた上で社民党候補者の唱える “沖縄を戦場にさせない” のキャッチフレーズは、意訳するとこれ以上の軍事負担は受け入れがたいし、軍備強化が結果として戦争を招く恐れになる」になりましょうか。つまりこれまでの日米安全保障下による防衛政策は「認める」との前提な訳であり、

社民党っていつから保守政策を唱えるようになったのでしょうか

と軽い突っ込みを入れてしまったブログ主であります。あるいは社民党の伝統に則り “平和を唱えることそれ自体が目的であり全て” かもしれませんが、いずれにせよ社民党の保守化は我が沖縄にとって間違いなく “朗報” です。

それはつまり、我が沖縄県民が現在の安全保障政策に満足している裏返しなのです。だがしかし、その事実を公認したくない一部県民が存在するのもまた沖縄の現実であり、その人たちが社民党やオール沖縄を支持しているんだなと痛感したブログ主であります。(終わり)