昭和37年の突っ込まざるを得ない事件を紹介するよ

今回は昭和37年5月から6月の新聞記事(琉球新報)から “突っ込まざるを得ない事件” を紹介します。この時期の新聞は現代基準では想像もつかない事件が報道されますが、今回はその中でも比較的マイルドかつじわじわくる記事を厳選して紹介します。

だがしかし、5月から6月の短い期間でこれほどレベルの高い記事を見つけることができたのは驚きのひとことで、アメリカ世時代の琉球住民たちのセンスは現代の沖縄県民とは一味違うなと痛感します。3面記事好きな読者のみなさん、是非お楽しみください。

違う、そうじゃない

校舎で首つり自殺

8日午前7時40分ごろ那覇市内大道小学校の校舎外側階段の手すりに、首を吊って死んでいる男を、同校で工事中の労務員が見つけ那覇署に届け出た。死体は那覇署に運んだが身元不明。同署は自殺と見ており動機を調査中。30歳前後で1㍍70㌢。めがねをかけ、下は青いたてじまのパジャマにランニングシャツを着ている。現場が小学校内だけに登校した学童たちがワンサとつめかけ、なまなましい首吊り姿に目をおおっていた。現場を見た大人たちは

教育上よくない

とマユをしかめていた。(昭和37年5月8日付琉球新報夕刊3面)

「まずは死体を隠せよ」

と思わず突っ込んでしまったのは気のせいでしょうか。

無駄な努力

▽同署は31日午前11時ごろ、同安里468、照屋某(42)を万引きの疑いで捕えた。調べによると、照屋は同牧志2の66仙喜書店内で

「頭の良くなる本」

他三冊をポケットに入れ、また手に持っていたもの。(昭和37月1日付琉球新報夕刊3面)

この手のニュースに接するたびに、馬鹿にも才能があるんだなと痛感します。

したたかもの

那覇の町が見たかった /小学生、宮古から家出

2日午前3時ごろ那覇市公設市場の軒下で寝ていた宮古伊良部村字長浜、小学6年生Y少年(13)は、那覇署に補導された。調べによると3、4日前に家出して家族にだまって先島定期便にとびのって那覇に来た。だが行き場がなく市場で一夜をあかそうとして警ら中の派出所員に補導されたもの。

この少年那覇の町を見物したくてとび出して来たとわるびれずに語り刑事たちを苦笑させていた。児童相談所に通告、宮古へ送還する。(昭和37年6月3日付琉球新報7面)

この少年に限らず、アメリカ世時代の未成年たちの “やらかしレベル” は現代とは比較できません。

またお前か

小渡兄弟を送検 / 選挙にからむ傷害

【コザ】コザ署は21日美里村美里コザ自動車練習所内小渡三郎(38)と弟の小渡良敬(34)の2人を傷害罪でコザ治安検察庁に送った。送致書によると小渡兄弟はさきに行われた美里村長選挙に立候補して落選したものだが相手候補の運動員だった美里村松本100、農業、幸地清忠さん(31)に日ごろにうっぷんをはらそうと、この13日午前3時半ごろコザ市城前区のクラブ沖映で酒を飲んでいた幸地さんを裏口につれだしなぐって左目とクチビルに1週間のケガを負わせたもの。(昭和37年6月22日付琉球新報7面)

保守・革新を問わずアメリカ世時代の政治家のやらかしレベルは現在では想像つきませんが、中でも小渡兄弟は別格です。

この後はじわじわくる新聞広告を紹介します。まずは昭和37年5月12日付琉球新報夕刊3面に掲載されていた山形屋の広告ですが、右側写真のお人形さんには突っ込まざるを得ません。

最後に昭和37年5月28日付琉球新報夕刊3面に掲載された沖煙たばこの広告です。宮城大弥投手(オリックスバッファローズ)似のタバコをふかした農民風モデルもさることながら、パリを “掛詞” に使っているセンスの微妙さがじわじわきます(終わり)。