ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その30

(続き)また、むこうはまともな英語で沖縄へ来たんですが、私とつき合っている間にブロークンイングリッシュになってしまい、本人が気づかないということもあります。それで他の人から「おいマーク、おまえ、What kind English you speaking(おまえどんな英語を使っているの?)といわれたりするわけです。「Why? (どういうこと)」、「Your language is fany? You think so? (あなたの言葉は変だよ、そう思わないの)」という具合に、私と話したから、アメリカに帰っても、こうしてブロークンイングリッシュにしないと話せなくなった人がたくさんいます。

私と話すときには最初わかりやすいように話するわけですが、私が流暢じゃないからむこうも合わせていくうちに、それが癖になって抜けなくなるわけです。

だから私の友だちは、他の人から見たらみんなブロークンイングリッシュになっていて、お店でも「この人たちはアメリカ人ね」と聞かれますが、私にとってはスムーズに聞こえるけど、他の人から見たら私たちの会話はとんでもない会話らしいのです。

だから普通だったら、お客さんが来て「Get fuck-out here」というから、「なんね、これ」と聞いてきますので、「今すぐ出て行けという意味さ」と答えます。「Piss me off(あたまに来た)」とか、初対面の人に女英語がみんな飛び交うから私たちの会話は英語じゃないわけですよ。

私は今、空港通りで自分のライブハウスをやっていますから、アメリカ人むけの英語のカラオケを八〇〇曲、日本人のを三〇〇〇曲、沖縄民謡までも全部置いてあります。それで、日本人の若い人なんかも来て歌いますけど、金曜日と土曜日以外はアメリカ人なんかが来てカラオケを歌うんです。

だから、毎晩、常にアメリカ人と話をしていますので、抜けきれないんです。この人たち、あのときの私の青春時代、バンドが全盛期のときに、あのときの私たちより若かった二二、三歳の米兵の子どもたちを相手にしているから、ああデージ・ヤッサー(たいへんですね)、やっぱりむこうも変わるんですよ。

例えば、よくいうじゃないですか。地方都市の那覇が東京に向かっているとか、東京はニューヨークに向っているとか、それでそのニューヨークから来る人間が沖縄にパッと来たら、ニューヨークの訛りや文化を持って来て、これが順繰り順繰りしているんです。だから、どこに向っているのか、結局ここから行ってもいいんですよ。

ここから行っても、沖縄からニューヨークに行って、日本に帰って来て、日本から沖縄に来ても、だから東京経由でもいいし、大阪経由でもいいし、こうやって地球を回っているんです。全部が全部ボーダレス。

ここ(沖縄)にいながらニューヨークの事情とか、フロリダ、カルフォルニア、ハワイ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア、カナダの状況がわかりますから、おもしろいですよ。

今の沖縄にいる若いアメリカの軍人もたいへんみたいですね。帰るとか帰らないとか、やめるとかやめないとか、規律が厳しいとか。今の軍人は忍耐力がないんですよ。「仕事なんてくだらない、僕辞める」というので帰国するのを見送っても、「本国に全然仕事がなかったりして、カッちゃん、沖縄良かった。忘れられない」といい出すんです。

それで彼らに「See(ほらみろ)ワン・ヤ・エー・イチャ・シェー(いっただろう)、イッター(おまえたち)は食べ物もただヤー、寝るところもただ。ハッシャ・ビヨー(感嘆詞)、ただ足りないのは彼女が持てないだけだろう」といいました。

嘉手納基地の空軍で今何万人もいる軍人は、男性が八に女性が二ぐらいの割合です。まだ若いから、二二、三歳で彼女が欲しい、彼氏が欲しいという年齢ですから、八対二ではバランスが取れないんです。

だからみんな「My name ダダダダ」といって、日本語もわからんのに話かけるわけです。とにかくディスコにいったら東洋人がいるから、男女の触れあいがもてるんじゃないかということで、みんな若いからディスコなんかで踊って友だちになるんですよ。女性を取り合ってけんかもするんです。

基地内では、男女比が八対二だから、ある夫が韓国とかどこかに出張に行きますと、

もう一〇人ぐらいの男が奥さんを誘惑するので、

冷蔵庫に入れておかないと危ないですよ。こういう話がぼんぼんありますからね。