別に「不屈」は瀬長亀次郎さんだけではないお話

2017年8月12日にドキュメンタリー『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』が公開され、我が沖縄県ではちょっとした亀次郎ブームになっています。瀬長亀次郎さんのキャッチフレーズはご存知の通り「不屈」で、彼はアメリカ軍の占領行政に立ち向かったヒーロー扱いになっています。

たしかに人民党事件で逮捕・投獄されましたし、那覇市長に就任もその後追放され、しかも10年間公民権を剥奪されても志を曲げることはありませんでした。たしかにその点では「不屈」です。だがしかし、瀬長亀次郎さん以外にも米軍の施政に立ち向かった無名の沖縄人(今回は敢えてこの名称を使います)は多数いるわけで、今回はその中から一人前田武行裁判長について取り上げます。

今回取り上げる事例は昭和40年(1965)10月、サンマ裁判における前田裁判長が下した判決のお話です。その前に当時の沖縄は政府が2つ(米民政府、琉球政府)があり、裁判所もそれぞれ2つありました。米民政府には直接司法権を行使するための米国民政府裁判所という独自の裁判所があり、沖縄人の訴訟案件は琉球民裁判所(巡回裁判所、治安裁判所と琉球上訴裁判所の2審制)で担当しました。

少しややこしい話になりましたが、今回取り上げるサンマ裁判は琉球民裁判所で争われた訴訟です。経緯は那覇市牧志町(当時)の鮮魚取扱業の玉城ウシさんが琉球政府を相手どって提訴、その内容は当時の税法(物品税法)の課税品目に、サンマなどの大衆魚が記載されていないにも関わらず琉球政府が30%の物品税を徴収しているのは不当だとのことで「すでに納付した税金を返還せよ」というものでした。裁判は一審、上訴裁でも玉城さんが勝訴、ただし上訴裁の判決の翌日にキャラウェイ高等弁務官(当時)が突然布令17号の改正3号を出して、物品税法の課税品目にサンマを追加、さらにこの改正布令は過去にさかのぼって適用できると宣告したのです。

このときのキャラウェイ高等弁務官のやり方は無茶苦茶そのもので、その狙いは同様の訴訟を押さえるためでしたが、どう考えても法律不遡及の原則に反しています。そのため琉球漁業から「裁判でサンマ徴税は不当と認められたにも関わらず、同種類の税金を布令で合法化するのは法の平等、法律不遡及の原則に反し、大統領行政命令のいう財産権の保障にも違反する。改正布令は無効だ」という第二の訴訟が持ち出されます。

サンマ裁判は2つに分けられます。1つは玉城ウシさんの案件で不当な課税に対する訴訟、2つ目が「高等弁務官の布令17号改正3号は不当である」という布令の是非を争う案件です。2番目の案件が極めて重要で、この時の訴訟を担当した中央巡回裁判所の前田武行裁判長は「琉球政府裁判所にも法令審査権はある」と判断して原告(琉球漁業)の勝訴とします。この判決の歴史的な意義については次回の記事で説明します(続く)。


【参考】 布告・布令・指令等の概要(沖縄県公文書館の Web サイトから参照)

琉球政府は、司法、立法、行政の三権が分立した一国並みの政府でありながらも、「琉球列島米国民政府の布告、布令および指令に従う」(米国民政府布告第13号「琉球政府の設立」)とされ、米民政府の監督下にありました。

布令 住民に対して効力を持つ立法的性格を持つ規定。刑罰規定や税法の制定などもある。

http://www.archives.pref.okinawa.jp/ryukyu_government/5202