不発弾の処理と自衛隊

今回も沖縄県と自衛隊に関する話題を提供します。昭和47年(1972年)に復帰した際の問題のひとつに不発弾処理があります。実はアメリカ世の時代(1945~1972)は沖縄戦の結果生じた大量の不発弾はアメリカ軍が処理しましたが、復帰後はアメリカ側が処理業務を断った経緯があります。この案件に関しては沖縄県と政府との交渉の結果、最終的に自衛隊が処理することで決着しました。その時の記事全文を書き写しましたので、読者のみなさん是非ご参照ください。

自衛隊が処理へ  沖縄の不発弾県も最終的に了承

沖縄戦中の不発弾処理をどうするかが大きな問題になっているが、政府は沖縄の米軍不発弾処理場(読谷)の処理能力をオーバーする五十㍀(約二十五㌔)以上の不発弾を自衛隊の不発弾処理船でホワイト・ビーチから土佐沖に運び、そこで、海中投棄する方針を決め、県もこれを了承した。

不発弾処理に関する政府のこの方針は十一日午前十時半から知事公舎で行われた県、総合事務局、自衛隊、県警本部の四者代表会議で最終的に説明され、屋良知事がこれに了承を与えた。同日の会議には県側から屋良知事、大島知事公室長、総合事務局から吉岡局長、自衛隊から桑江陸自臨時第一混成群長、県警本部から安座間本部長らが出席した。

県では不発弾処理は「戦後処理問題の一つで当然、国の責任で解決すべき」と主張してきた。これに対し政府は「五十㍀以上の不発弾処理場が沖縄県内にはない」ところから自衛隊と協議。その結果、自衛隊の不発弾処理船でホワイト・ビーチから運び出し、奄美大島と高知県との中間点で陸地から三昼夜の距離の海中に投棄する。

引用:昭和47年12月12日付琉球新報11面

この報道は反自衛隊闘争を展開していた労組や教員組合などの民主団体に衝撃を与えます。しかも革新県政が自衛隊に依頼することで決着し、記事内における屋良知事の満面の笑みが平和活動家の屈辱感を増幅させたことも容易に想像できます。

沖縄戦中の不発弾処理を自衛隊が行うことに関して、同年12月12日の琉球新報夕刊にコラムが掲載されていました。余談ですがこのコラムを書いたのはもしかすると山根安昇さん(当時はマスコミ労組の委員長)かもしれません。

話の卵不発弾の処理と自衛隊

沖縄戦中の不発弾処理について、政府は自衛隊の処理船で土佐沖に運び、そこで海中投棄する方針をきめ、県もこれを了承したという報道がけさの新聞にあった。この記事をみながら「あれほど自衛隊の存在に反対していた沖縄県民が、不発弾処理という場合には、結局自衛隊の世話にならなければならない。なんだか矛盾を感じるな」とつぶやいた人がいた。ていどや質の差はあれ、これと同じような感じを持った人はほかにもいるだろう。

沖縄には戦争中、はかり知れないほど多量の砲弾や爆弾が撃ち込まれた。そしてその一部は不発弾となり、戦後二十七年をたった現在でも、いろいろな機会にそれが見つかる。こんな物騒なものと同居しているのは、まっぴらご免だ。これと取り除くのは戦後処理問題の一つとして当然国の責任として解決すべきだ、という見解を沖縄県はとってきた。県のこの態度には、わたしたちも基本的に賛成する。

政府はいまの段階で不発弾の処理をする能力を持つ機関は自衛隊しかないということで、自衛隊にさせることにきめ、県もそれを認めた。わたしたちの心の中に、なんだかやりきれない思いがあるのは事実だ。戦争と、それにつながるものを一切否定している沖縄県民が戦争の遺物である不発弾を処理するためには、結局軍隊である自衛隊に手にゆだねなければならないという点に割り切れないものを感じるからだ。できれば自衛隊以外の手によって、不発弾を処理してもらいたかったと、大方の人が思っているとしても不自然ではないだろう。

不発弾の処理を自衛隊にまかせたからといって、わたしたちは自衛隊の存在や、沖縄への配備を認めたわけでは決してない、という認識を持たなくてはいけない。沖縄にいまになるまで、不発弾などという戦争の残りかすが存在していることを重視し、戦争に反対し、武器を絶対に手にしないという覚悟を新たにすべきである。

沖縄にいまだに残っている不発弾の処理を自衛隊にさせなければならないという日本の状態、沖縄のおかれている立場を改めて考えてみたい。もう一度戦争というもの、自衛隊というものを真剣に考えてみずに、当座の役に立つということだけで、見過ごしてしまっては、いつのまにかごまかされてしまうのではないかという恐れさえ抱く。(丙)

引用:昭和47年12月12日付琉球新報夕刊1面

上記コラムを読むと、沖縄県民および社会における現実主義的な思考の強さを実感します。ちなみに現実主義的な思考とは何か、つまり「それはそれ」「これはこれ」と分けて考えることです。沖縄戦を経験した過去から自衛隊は受け入れがたい、だがしかし戦後処理の一環として自衛隊の能力は必要であるとの発想はハッキリ言って一種のご都合主義ですが沖縄はその傾向が極めて強いと言わざるを得ません。

ではなぜそうなったのか、これも理由は簡単で「今までそうやって生き抜いてきたから」です。今後もそうやって日本社会を生き抜くかどうかは不明ですが、沖縄県民および社会の底流にある現実主義的な思考を見抜けない人が、結果として沖縄を美化していると言わざるを得ません。そういう輩は沖縄において何故自衛隊が受け入れられたかを真剣に検討することをお勧めします。

最後に松川久仁男さんの著書『自衛隊に反対する沖縄 – 治に居て乱を忘れる -』から不発弾処理に関する一節を紹介して、今回の記事を終えます。

不発弾処理件数は昭和47年から昭和54年まで367,622発410,9㌧件数8,986回で県民の不安を除去している