ロックとコザと “納税”

先月21日から「ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編」と題して、故川満勝弘さんの証言を写本し、当ブログにて公開していますが、その過程でいろいろな “気づき” があったので、試しに記事としてまとめてみました。

オキナワン・ロックの場合、昭和40(1965)年から、コザや金武、波之上あたりでバンド・マンたちが活動を始め、その後急速にバンドの数が増えます。実は、この時期から全琉に安定的に電力が供給されるようになり、ロックバンドに限らず、民謡や、(フィリピンからの)出稼ぎダンサーたちの活動の場が劇的に増えた結果でもあります。

※参考までに、久志村辺野古(当時)の電力インフラは昭和40年に完成し、北部ではいち早く地域全体の電化が達成されています。

昭和40年から復帰前後の時期は、りうきう・おきなわの歴史上で最も “大衆文化” が花開いた時期でもありますが、それに伴い新たな問題も起こります。それは「納税」です。一例を挙げると、オキナワン・ロックの重鎮たちのエピソードのなかで、「1回のステージでサラリーマン1か月分の何倍のギャラをもらった」とありますが、その話を聞くたびに、

あんたら、その稼ぎに対して、どうやって確定申告したの?

とツッコミ入れたいのは気のせいでしょうか。「ロックとコザ」ではこのあたりが全く分からないのです。もしかすると、このあたりはバンド・マンに限らず、当時のりうきう芸能界の最大の暗部かもしれません。

ただし、復帰後はこれまでのようなやり方では通用しなくなります。そのために誕生したのが昭和43(1968)年ごろから誕生した「芸能プロダクション」であり、彼らがバンドやダンサーたちの仕事斡旋や、納税代行などの業務を請け負うことになります。

つまり、芸能プロダクションも時代の要請で誕生した職種といえますが、問題は暴力団関係者たちがプロダクション運営に乗り出し、斡旋料の荒稼ぎだけでなく、所属しない芸能人たちに対するいやがらせ、ステージの経営者たちに対する脅迫などの違法行為が頻発してしまった件です。いかにも昭和あるあるの風景ですが、参考までに復帰直前の悪徳プロダクション摘発の記事を紹介しますので、是非ご参照ください。

悪質芸能プロ壊滅に乗り出す警本

警察本部は”夜の沖縄”を支配しているといわれる組織暴力団にメスを入れ、悪質な芸能プロダクションの壊滅に乗り出している。先のコザプロダクションに続き、2日に行われた那覇市内のバー、キャバレー、クラブを配下にしてショー・ダンサーを送り込んでいた「那覇プロダクション」「波の上プロダクション」の手入れは、暴力団壊滅作戦だけにとどまらず、風俗営業法、児童福祉法、労基法の面から18歳未満の女性を保護するのも大きなねらいのひとつ。悪徳プロダクションは、中学校や高等学校を卒業したばかりの未成年までまるめこみ、かせぎまくっているといわれる。ショー・ダンサーを管理して荒かせぎした金が暴力団の手に渡り、資金源をふとらせているところから、警本と各署の暴力団取り締まり専従班は悪徳プロダクションの実態をあばき、資金源を断つほか、暴力団の徹底壊滅へ本腰を入れていく構えだ。

プロダクション経営に当たり、裏で糸をあやつっているのは組織暴力団。これらが進出したのは68年ごろからで、現在では中部、北部、那覇と広範囲を2~3のプロダクションだけで仕切るほどの勢力をもっている。いやがるバー、キャバレー、クラブなどにショー・ダンサーを売り込むばかりか、ホステスのあっせんにも介入し風俗営業者には”目の上のたんこぶ”になっている。(下略)

引用:昭和47(1972)年3月3日付琉球新報11面

ちなみに、所属ショーダンサーに対する脅迫行為の疑いで旭琉会の幹部が逮捕された記事も紹介しますが、新屋秀雄さんが初めて全琉デビューした記念すべき記事でもあります。

旭琉会幹部逮捕 那覇署

組織暴力団の取り締まりを強化している那覇署は4日午前10時、さきに逮捕した「ナハプロダクション」の経営者、暴力団旭琉会幹部・新屋秀雄(25)=同市西新町1-9-9、同支配人・佐次田昌一郎(30)=同市久米町1-24-5=の2人を職安法違反で那覇地検に送致した。同署は2人の拘置期限を20日間延長し、同組織にメスを入れることにしている。

新屋らは先島や金武一帯にまで手を広げ、未成年者の外人ダンサーをバーやキャバレーに売り込んでいたといわれ深夜まで営業、ダンサーらを脅迫まがいで踊らせていた。同署はフィリピンのショウダンサーらに任意同行を求め取り調べているが労基法や出入管理法の違反の疑いももたれるとして取り調べをつづけている。(昭和47年3月4日付琉球新報夕刊3面)

復帰前に活動していたバンド・マンは10代後半から20代前半が多く、彼らは納税の知識に乏しいことは容易に想像つきます。そこが “ヤクザ” の付けこむスキとなり、若いバンドマンたちが、斡旋料名目の「縄張り料」を徴収されていたのはほぼ間違いありません。ただし川満勝弘さんは一回も支払わなかったそうですが、彼はバンド結成当初はともかく、人気が出たあとは納税に関してきちんと申告してバンド活動を続けていた傍証かもしれません。

今回は「ロックとコザ」とブログ主所有の史料から、ついうっかり復帰前の思わぬ “暗部” に気が付いてしまったので、取り急ぎまとめてみましたが、読者の皆さんは、よくできた “作文” ぐらいの感覚で流し読みしていただければ幸いかなと思いつつ、今回の記事を終えます。